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宝幢寺由来

宝幢寺由来

 以前は真言宗で福昌院といって石動山にありましたが、寺伝によると矢田の明星館末の時代を経て法道上人の世に浄土宗に改宗し、明徳2年(1391年)岌誓上人が宝幢寺と改称したと言われています。

 上杉謙信の七尾城攻めのとき、兵火を受けなかったために七尾方に降伏した上杉方の武将を収容し、後日この寺で処刑されました。七尾城落城後、長連龍が、長家の再興を図った際、身を匿した等の、武将にまつわる多くの物語が残っています。

 本堂は元禄年間に建立されたもので、天井や柱・壁の絵は加賀の僧心岩苦心の作と伝えられます。春日造りの阿弥陀如来と共に美しく荘厳され、一に掃除、二に勤行と言われる寺風を良く伝え古風を偲ばせてくれます。境内の地蔵尊は、一名「歯直し地蔵」と呼ばれて箸と煎った大豆三粒を供えると効があると言われています。


本堂 歯治し地蔵 歴代住職墓石
法然上人 阿弥陀如来像 善導大師

西念寺由来

 開基は、紀貫之の後胤真盛上人。真盛上人は天台宗の名僧で、大津市坂本の西教寺の中興としても有名です。そのため、以前は、天台宗真盛派でしたが、承応年間に第十五世栄長法印が浄土宗に改宗したといわれています。

 境内には閻魔堂があり、堂内の閻魔像をはじめ各種の像は、金沢の仏師松井晃林・松井右近・松井左十郎の作と伝えられております。以前は子どもの勧善懲悪教育に盛んに利用されました。

 刺繍阿弥陀三尊像をはじめ多くの文化財を寺宝としています。


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